昨日診察があった。
心療担当のほう、私の写真の師匠でもある主治医だ。
(診察の会話の途中を切り出す。)
医師:「最近何してます?」
私:「何してるんでしょうね、取り立ててあげるようなものはないんもないですね・・。」
私:「あ〜、そうだ、使い方がぼやけて忘れかけている単体露出計(Minolta Spot Meter M)の使い方を復習してます。」
私:「写真を撮りたくて北海道へ行ってみたいと思いましてね。」
師匠:「北海道か〜、車じゃないと行けないよ。」
私:「はいフェリーで行くつもりです。」
私:「先週診察室に持ち込んだ家庭画報7月号の前田真三さんの写真に触発されました。前田さんの写真集も買ったんですよ。」
師匠しばらく考えた後、脇に置いていた数枚の写真を私に見せる(全部4x5判、画面サイズの大きさだけで迫力ある。スケールが違う)。
師匠:「これ、10年ぐらい前かな、丹後半島で撮ったの。」
私:「ほぉ〜〜いいですな。夕闇に浮かぶ遠くの漁り火と淡い雲の模様。なんとも言えないですね。」
(ここで一旦会話を閉じる)
私、しばし考える。
中判カメラを買ってもう2年ぐらいだけど、何か欠けているものがあるんじゃないかと思ってた。少しわかったような気がする。
欠けているもの。それは写真に対する執着心や貪欲さ、バイタリティー、タフさ。それらが欠けているから、撮った枚数が少ない(多けりゃいいって言うものじゃない)。
つまり場数をこなしていない。
一つの撮影地に時間をかけて到着してたった一枚の写真を撮って、その出来上がりが満足いくようなものでなければいけない。
なんのために中判を買ったんだ。一枚にかける執着心を高めるためじゃないか。一眼デジカメのように山ほど撮ってその中から選ぶなんていうのとは違うんだから。
シャッターを押す前に出来上がりが完璧に頭に描けているようにならなと。そのためには計算力を上げないと。
北海道撮影旅行は、お金がかかる。その前に近場でシャッターを押す場数踏んで緻密な計算力を高めないといけない。出来上がりが予想できる計算力。
それらに増して必要なのは、遮二無二に写真を撮りに行きたくなるようなそういう高揚感。これはな〜心とか気持ちの問題だからな〜。
どーーしたもんだろ。
あ〜〜そういう気分ってどうやったら湧き上がってくるんだろう。ただでさえ億劫感があるというのに。
躁は絶対困るけど、健常な高揚感とでも言うかな、そんなの。欲しいよ。
そうか!師匠(主治医)の「北海道、今はちょっと待て」の無言のシグナルだったのかな?